世界最古のトイレは水洗だった
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トイレの歴史と聞いて、どのようなものを思い浮かべるだろうか。穴を掘ってしゃがむ素朴な仕組みから始まり、長い時間をかけて少しずつ便座がつき、水で流せるようになり、ようやく現代の水洗トイレに行き着いた——そういうイメージではないだろうか。
ところが、考古学的に確認されている世界最古のトイレは、その常識と大きく食い違っている。見つかったのはイラク東部、バグダードの北東約60キロにあるテル・アスマル。古代メソポタミア文明のアッカド王朝時代の都市エシュヌンナの遺跡だ。紀元前2200年頃の宮殿から出てきたそのトイレは、腰掛け式の水洗だった。
仕組みはこうだ。煉瓦を「コ」の字型に椅子のような形に積み上げて便器にし、腰を下ろして用を足す。出た汚水は宮殿の東壁に沿って作られた管へ流れ込む。この管は地下に埋められ、アーチ状の覆いが掛けられていた。しかも内部の上側には通路があり、掃除のために人が歩けるようになっていた。約4000年前の建物に、便座と配管と点検通路が揃っていたのだ。
さらに、この宮殿には少なくとも6か所のトイレと5か所の浴室があった。数が多いだけでなく、造りの質もきわめて高い。宮殿から100年ほど経った紀元前2100年頃には、一般住宅からも煉瓦製の便器が見つかっている。こちらは便器の下を水が流れ、排泄物は焼き物の配水管を通って下水道へ、最後はチグリス川の支流ディヤラ川まで流れていく。水洗は王の特権ではなく、庶民の家にも届いていた。
一方で、文明が進めば衛生も進むという図式も崩れる。それから千数百年後の古代ギリシアでは、アテネの遺跡から下水施設が見つかっておらず、当時の記録にも「下水」という記述は一切見えないという。無かったのは水洗設備だけではない。住宅にも都市にもトイレ自体設けられておらず、汚物はほぼ垂れ流しに近かったと推定されている。町は不潔で、チフスや天然痘などの病気がたびたび猛威を振るった。ギリシア文明が衰えた遠因の一つにトイレの欠如を挙げる人もいるくらいだ。
日本でトイレ遺構が確認された例は意外に新しい。考古学的に「ここはトイレだった」と特定された最初の事例は、1980年に福井県の一乗谷朝倉氏遺跡で金隠し(便器の前方に設置された遮蔽物)が発見されたときのものだ。それまでは、発掘調査の途中で肉眼で見つけられたものしかトイレと判断できなかった。それが変わったのは1992年、藤原京跡の発掘で土壌を水洗して有機物を取り出す浮遊遺物洗浄法が導入されてからだ。寄生虫の卵や消化されなかった種子が出てくれば、そこがトイレだと証明できる。おかげで今では、当時の人が何を食べ、どんな病気に悩まされていたかまで、トイレの跡から読み取れるようになっている。